晩年


尊敬する師匠・岡倉天心の死後は、日本美術院再興のために奮闘する。
日本画壇の重鎮として確固たる地位を築き、1935年には帝国美術院会員となり、 1937年にはこの年制定された第一回文化勲章の受章者となった。
晩年まで大観は作品を作り続け、最後まで弟子は取らなかった。
80歳を越えても出品は続き、昭和33年2月26日他界した。
永年に渡る日本美術発展への貢献により正三位に叙せられ、勲一等旭日大綬章を贈られた。
 
横山大観の作品は、タッチが独特ながら一見、模倣しやすいと考えられ、 戦前の一時期には横山大観を騙り地方の素封家の食客となって 渡り歩く無名画家が多数あらわれたこともあった。
この時、彼らによって描かれた作品がかなりの数、現存している。
地方名士の子孫には、真筆と信じて所蔵している者も多い。
これらの模倣作ないし贋作をさして揶揄的に「田舎大観」と呼ぶことがある。
これらも含め、贋作が非常に多い事でも知られ、鑑定の結果、 真筆と判定された作品には「大観番号」という番号をつけて保護されている。
 
太平洋戦争中には自らが売却した絵の代金を戦闘機の制作費用として軍に寄付するなどしていた。
そのため、終戦後にはGHQより戦犯容疑者として取り調べを受けた事もあった。

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