岡倉天心


1907年、横山大観は国が主催となって、官営の「文展」(文部省美術展覧会)が開催されると、 その文展の審査員に選ばれた。同年には、父親も亡くなっている。
この文展には菱田春草の『落葉』も出展され、 はじめまったく評価されなかった『落葉』の素晴らしさを説き、 周りの審査員と戦ったりもした。
 
1913年には尊敬する師匠であった岡倉天心が亡くなった。
横山大観は大変に天心を尊敬していた。
俗人には誤解されやすかった天心を理解し、 その想いをとげるために一心に努力をしてきた。
天心の最後となった赤倉では「岡倉先生終焉の地」なる碑を立てた。
また東京美術学校には平櫛田中が銅像を作り、 そこに『Asia is one』という文字を大観が刻んだ。
 
横山大観は大変な酒好きとして知られているが、 実はそれはもともと酒が好きだったわけではない。
若い頃は猪口2〜3杯で真っ赤になってしまう下戸だった。
しかし師の岡倉天心は日に2升ともいわれる酒豪であり、 「酒もタバコもやらんで絵が描けるか」と大観を叱咤したため、 飲んでは吐きながら菱田春草と共に訓練した結果であった。
つまり大観を酒好きにしたのは岡倉天心なのである。
 
天心の最後となった赤倉の地にお見舞いに行った折には、 病で苦しかったはずの天心が起きてきて、 物を食べることすらもできなかった状態なのに、弟子たちとの食事を行ったという。
赤倉に身を潜めたのは、弱った自分を周囲に見せたくないため、 見舞いに人がこれない場所を選んだと言われている。

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