厳しい生活


茨城県の五浦での日本美術院の再スタートはしたが、 それからも厳しい生活は続いた。
せっかく絵を制作しても売れないことは変わらなかったからである。
 
画風の違いにより、下村観山や木村武山らはまだ需要があったため良かったのだが、 横山大観や菱田春草らは需要すらもなく、 食べるのに困るほど貧困に悩まされた。
さらに当時住んでいた家が家事になってしまうなど不幸も重なって、 生活は相当厳しいものだった。
五浦に家は再び建てたものの、東京の池之端に住むようになった。
 
このころ兄弟のように仲良くしてきた菱田春草が目が悪くなるという病気になり、 その治療のために春草は東京へと引越しをした。
茨城県の五浦は田舎だったため腕の良い医者もいなかったためである。
療養の甲斐もあって春草の視力は回復し、 当時はまだ郊外だった代々木近辺の雑木林がモチーフとして『落葉』を創作した。
『落葉』は伝統的な屏風形式を用いながら、 空気遠近法(色彩の濃淡や描写の疎密で、遠くの事物と近くの事物を描き分ける) を用いて日本画の世界に合理的な空間表現を実現した名作である。
 
視力が回復したのは一時的なものであり、 『落葉』を描いた後、ふたたび悪化してしまった。
その後1910年には『黒き猫』という名画を描き上げるが、 翌年の1911年(明治44年)に満37歳の誕生日を目前にして病死した。

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