日本美術院


日本に帰国した翌年の1906年、横山大観は遠藤直子と再婚した。
海外視察の旅行から帰った横山大観は日本美術院に戻るが、 そこは大観や春草が日本を離れている間に経営が傾いてしまっていた。
戦争の影響もあり、社会が芸術から遠ざかっていたため、 絵を書いても全然売れなかったのである。
こうした慢性的な財政難に悩まされた日本美術院は縮小をせざるを得ない状況となった。
 
そのころ日本美術院の創立者である岡倉天心は、 画家・飛田周山の勧めで茨城県の五浦に土地を買い、 日本美術院の移設をすることを決めていた。
岡倉天心は再婚したばかりの横山大観に新婚旅行に五浦まで来いと声をかけ、 そこで日本美術院の再出発についての説得をした。
 
この意見に賛同した横山大観は家族で五浦に引越しすることにした。
そして岡倉天心は、大観のほかにも菱田春草、下村観山、木村武山らも説得をし、 わずか5人ではあったが新たに美術研究のための場所を作った。
 
日本美術院の都落ちとも言われたこの事件は、 経済的な破綻から始まったせいもあり、周囲からの罵倒なども当然あった。
しかしそんな声にも大観や春草は負けることなく、没落せずに戦ったことで、 自らの美術の世界に新たな基礎を作ることができた。

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