朦朧体


尊敬する岡倉天心に協力するため、日本美術院の設立に奮闘する横山大観
日本美術院が創立されてから行われた展覧会も好評に終わり、 事業も軌道に乗ってきて、将来を期待されていた。
第一回展を開催した際に、横山大観は『屈原』という名画を描き上げ、 非常に話題を集めるなどしたが、日本美術院の給料は安く、 生活自体は非常に苦しいものであった。
 
日本美術院の活動の中で、新しいもの好きで固定観念に捕らわれない考えを持つ 岡倉天心から空気を描く方法を考えろと言われた。
横山大観と菱田春草は西洋画の画法を取り入れた新たな画法の研究を重ね、 線描を大胆に抑えた没線描法の絵画へと進化させた。
この画法は当時の画壇の守旧派から猛烈な批判を浴びたこともあり、 線がはっきりしないという皮肉を込めて『朦朧体』と呼ばれた。
 
『朦朧体』という技法は、色の濃淡、明暗で描こうとしたものだが、 線描がはっきりしておらず、輪郭線が明確でない、形がはっきりしない、 曖昧だということからそう呼ばれた。
日本伝統をそのままの技法ではなく、西洋の新しい画法を取り入れて作り出されたことから、 生み出すにあたって大変な苦労が強いられた。
従来の画法にない、明暗表現、光の表現、大気の表現を求めた結果がこの技法であった。
当時の日本は非常に保守的な風潮があったため、評価されることはなかったが、 後に海外で展覧会を開いた際には高い評価を得て、大観や春草らの絵は飛ぶように売れた。

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