東京美術学校


東京美術学校に進学してからも横山大観の苦労と続いた。
まず、大観の父親が建築の道に進むと信じていたこと、 時の日本画家は貧乏であり副業を得て生活していたことなどから 東大への進学を切望していたのに反対を押し切って東京美術学校に進学してしまったことで、 父親との関係に溝が生まれてしまった。
画家になることを父親に大反対され、 卒業するまで書籍の図版を模写するアルバイトで生計と学費を立てることになる。
 
また、もともと画家としての勉強をしてきたわけではなかったため、 他の学生たちとはスタート時点での力の差生まれていた。
東京美術学校では、その学力差の対応策として定期的に試験を設け、 上位と下位でクラス分けをすることになる。
横山大観は、はじめは成績もふるわなかったため下位クラスに分類されてしまったが、 逆にそのことが大観のやる気につながり、次の試験では上位クラスへと編入を果たすなど、 努力をすることで上へと上がっていった。 
 
学校についての余談ではあるが、当時、東京美術学校の制服は非常に奇抜なものであったため、 学生たちの間では不評であった(一部の文献では、めずらしかったため逆に人気が あったと書かれているものもある)が、学校創立2年目に学長になった岡倉天心は、 その制服を気に入っていたため、堂々と着て馬にまたがって登校してきたという話がある。

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